2013/05/19


 散歩をするだけ、その為だけに、ほんの少しだけ遠出をする。 電車でたった三駅の、見知らぬ土地でうろうろと、二人はただ彷徨って、時々ベンチで休み、 ガラス越しに少女向けのフリルの付いたスカートを眺めてあれこれ批評し、帰途に着いた。 「おじさん、私のことずるいと思う?」 ゴンコは歩きながらポツリと言葉を零す。 思わず、と言った様子だったので、拾うべきか悩み、決心を付けてその言葉を掬い上げる。 「何で」 「黙ってるから」 黙ってなかったじゃないか、と尚人は心の中で反論した。 道中いつものように口悪く罵り言葉を吐いていたではないか、と。  ゴンコは途中、「忘れてた」と言って薬局でナプキンを買った。 二袋入り二百九十八円。棚に並んだ中で一番安い商品。 尚人はやや視線を彷徨わせながら高い所にあるそれをゴンコの指示でカゴに放り込んだ。  薬屋の青年は彼女の知り合いらしかった。レジを通しながら 「ゴンちゃん今生理?」 と何の邪気もない顔で尋ねたのである。 恥じらいもないその様子に、尚人は不快に思うよりむしろ感嘆した。 「これだから童貞キングダムのクソ元首はヨォ、私はいざという時の為に予備買っとくんだよ一生黙ってろ土の中で」 さすが、と言うべきか、ゴンコも負けては居ない。 青年の目も見ず財布を漁りながら辛辣な語をとうとうと吐いた。 黙ってなどいなかった。  その後ふと思いついて口をついて出た言葉にも、ゴンコは躊躇いもなく返答した。 「ゴンコちゃんもまだじゃないの」 「やだなあマジ気持ち悪い。いいオッサンが……処女って言ってみな、処女って」 「処女じゃないの」 「そーだよ。っていうか意外にしれっと言うね」 本当に意外そうにゴンコが言う。 尚人があまりに淡泊に振る舞う所為か、彼女は尚人を 「この年にして奥さんにしか興味の無い少女漫画の登場人物みたいなゲロ甘男」と思っている節があった。 大正解ではないが、さほど外れてもいない。 「演劇界隈にはこんな話ばっかりだからねえ」 「お下品ですこと」 「だから楽しいんだ、多分ね」 「お下品なんだねえ」 「下品で恥ずかしいのにせずにはいられない、表現者は皆公開スカトロ趣味なんだ、きっと」 「スカ……何?」 「ごめん、忘れて」 こういう、この一週間に何度もしたような意味の無い会話をだらだらと重ねていたから、 ゴンコが「黙ってるからずるいと思う?」と尋ねる真意を測りかねて尚人は逡巡した。 構うことなくゴンコは次の話題に移っていく。 「おじさんって、西京って所からどうやってここに来たんだっけ?」 「電車に乗って、眠ってたら、なんか着いてた」 「ならさ、今日もやって見なよ」 ゴンコがしょうよう老爺と同じ提案をするので、尚人は思わず「ふふ」と笑った。 だが、ゴンコは真剣らしい。 大きな黒い瞳にじっと見つめられると居心地が悪くて、尚人は身じろぎして視線を逸らす。 「前もやったけど帰れなかった」 「前は出来なくても今は出来るかも。今日は昨日と違うから。昨日が一昨日と違うみたいにさ」 尚人は、ふと、話題を無理に変えようとするでもなく、かと言ってゴンコの言葉に関連付けた訳でもなく、 本当に「ふと思いついた」というように、問いに対しての答えを紡いだ。 「狡くは無いと思うなあ。黙ってるの。剣を取る事だけが闘いの仕方じゃない。 黙って戦禍に耐えるのも、一つの闘いなんじゃないか」 駅に着く。ゴンコは黙っている。黙って切符を買う。 ゴンコが黙っているから尚人も口をつぐんでいた。 先に沈黙を破ったのは、ゴンコの方だった。 「帰れたら絶対息子さんに会ってよ。絶対だよ、絶対。忘れたら呪うよ」 「帰れてから言ってよ」 「帰れてからじゃ遅いでしょ」 そりゃそうだ。 駅のホームで、北風を受けながら軽口を叩き合う。 向き合わず、視線も交わらないが、居心地の悪いものではない。 どちらも沈んだ顔で、前だけを見ている。  馬鹿でかい鉄の箱が減速しながら風を運んで止まる。 夕刻であると言うのに、客数は少ない。退勤時間よりは少し早いのかもしれない。 空いている席に腰を下ろし、尚人はぽつりと言った。 「しょうようさんによろしく」 「うん」 ゴンコは目を閉じて尚人の肩にもたれ掛った。 「疲れた?」 「うん。でも楽しかったからいい」 尚人も目を閉じた。たった三駅。 上野駅間近を告げる車内アナウンスでゴンコは目を覚ました。 隣にいたはずの男の姿が無いのを、訝ることもなく、無言で立ち上がり、扉が開くと同時にとぼとぼと、 蓮華堂への道を、一人で歩み出した。