2013/05/19


山手線を二周した。相変わらず駅名は「東京」で、肩を落として上野に帰る。 だが、尚人は絶望した訳では無かった。むしろ、若干の安堵さえ感じていた。 (さよならだけが人生だ、とは言ってもなあ) 電車の中吊りに添えられた文句を反芻してため息を吐く。 花に嵐の喩えならば、西京都にもあるものだった。 向こうもこちらも、人の考える事自体はそう変わらないということか。 (さよならなしに永劫共に、果たしてそれが叶うものかは) 在りし日の妻の笑顔を心に浮かべながらコツコツと敷石を下駄で叩く。 音に紛れて思い出されるのは、妻を隣に、間に幼い息子を挟んで葛飾の芝居小屋に立ち寄った思い出。 とかく役の幅が広いのを重宝されて端役として出演する作品は多かったから、芝居小屋などにも顔を知った者がいた。 照明係の左近(純血のオンモラキで人型よりはほとんど鳥のようだった)に能人が懐いて なかなか帰ろうとしなかったのを思い出してふと笑みをこぼす。 (ゴンコちゃんにもしょうようさんにも、別れるならば礼の一つも言うべきだろう。 まだ帰る時期でなかったということだ、それで良しとしよう) 東京に来てまだ二日目だというのに、いやに感傷に浸ることが増えた。 現実を、現実をこそ今見ねばなるまい、と尚人は一人目を細める。 カンカン帽の鍔を弄りながら、下駄の音を伴奏に、ぼうっと歩く。尚人は考えることを止めた。  蓮華堂に帰り着くと、不用心にもしょうよう老爺は眠っていた。 気配で目が覚めたのかフガフガと不明瞭な言葉で何かを告げた。 同時に旧式のパソコンが再び起動する。老爺は分厚い丸眼鏡の上から目を擦って渋い顔をした。 「帰って来おったか」 「ずいぶんなご挨拶で」 自分の手で汚したレンズを拭きながら、しょうようは言った。 「モノはあるべき所にあるべきだ」 「言葉遊びですか」 「儂の人生哲学だよ。あるべき所にある、と断言せん辺りが奥ゆかしいだろ」 「さて」 尚人は老人の言葉をするりと躱して普段は店主の腰かける椅子に収まった。仕事の続きだ。 「この辺りに芝居小屋はありますかね」 「芝居小屋ァ?ああ、そういやアンタ役者だったか、今時小屋と言うよりなんじゃ、その、 何とかって言っとるけど……ム、小屋でいいのか。小屋か。シアタア?まあ、あるにはあるよ」 「あるべき所にですか?」 しょうようはヘッヘと笑って「探してやんねえぞ」と言った。 そもそも探す気が無いのだろう、せっかく起動したパソコンを二、三の手順ですぐに真っ暗にしてしまった。 「エッおじさん役者だったの」 「私はゴンコちゃんが大工見習いってことに驚いたよ」 蓮華堂の最奥、神聖なる台所一歩前のいわゆるダイニング。 煮え立つ鍋を前にしてほかほかぴかぴかの白米を食べながら、二人は確認し合う。 ゴンコは大きな瞳を真ん丸にして驚いていた。 「儂はゴンコちゃんのことは知っとるし尚人サンのことも大体分かっとったよ」 「やっぱしょうようさんは違うなー」 ゴンコがえへらえへらと笑いながら言う。 詐欺的でありながら人を不快にしない、奇妙な笑い方だった。 ゴンコが白菜と豚肉とネギを選り分けて、ネギだけを尚人の器に移してくる。 余りに自然で尚人がうっかり「ありがとう」と言いかけたほどの手並みだ。 「こらゴンコちゃんまたネギ残しとる!」 「残してないですあげたんですゥ」 「いりません。お返しします」 尚人が白菜もおまけにしてどっさり盛ると、ゴンコはうげえと鳴いた。 「あんたも食い物で遊んだらいかんよ、良い年こいた大人が」 呆れ返ったしょうよう老爺の声と、デエイ!と叫びながら仕返しとばかり鍋から掬ったしいたけばかりを 山のように器に盛ってくるゴンコの楽しそうな笑い声。 意外なほどにすんなりと、東京という場に溶け込んだのは果たして幸運だろうか、不運だったのだろうか。 予想もつかない将来に思いを馳せながら尚人はしいたけの山を半分、ゴンコの器にスッと移した。