2013/05/19


昼休みにもう一度電話を掛ける。祈りに似た切実。 「出ろよ……」 『お掛けになった番号は……』 最後まで聞かず、その女の声を遮断した。 最後に会ったのは母の葬儀であったと、ふと思い出す。思っていたよりは最近の事だ。 ぼうっと物思いに沈んでいる布津の視界に、見知った男の姿が飛び込んできたのはきっと偶然だろう。 電話をしまった広い背中に声を掛ける。 「佐田久さん?」 振り返った男はやはり、布津の頼りの先輩であった。検閲課でなおかつ真面目な男だから、 これから忙しくなることを見越して娘に連絡でもしたのではないか。 そう推測して問えば、案の定。 「取ってもらえなくてな」と笑う男に、自分もへらりと笑みを返す。 「何かあったのか、疲れてる様子だが」 ギクリ、と内心穏やかならぬ心地でまた少し笑う。ごまかせごまかせ。我が悩み他人に知られる必要なし。 「あー……いや、何もないですよ」 この男の鋭さを見くびってはならなかった。布津は不用意に声を掛けた事を後悔さえしていた。 見抜かれれば、布津は堰を切ったように泣きだしたろう。 自分が真に孤独になるのかもしれないという不安。そして、今まで憎んできた男どもが不思議に愛しく思える事への戸惑い。 感情の渦は未だ何とか自分の理性の内に留められている。さて、しかし、いつまで保つものだろうか。 不意に頭に乗せられた重みに、彼は普段なれば死んでいる目を丸くした。 「大丈夫だよ、お前なら」 優しい重みの感覚は随分昔の思い出だ。 布津は悟る。佐田久は、自分が何事かを隠していることを漠然と察している。察した上で敢えて聞かないでいるのだ。 「子ども扱いっすか、ひでえ」 酷い、と言いながら嬉しさに顔は綻んだ。 歳も背格好も似てはいないが、佐田久をして父を思い起こし、束の間幼い日の金曜に心は戻る。 父が自分と遊びに出かけるのは決まって金曜だった。なぜかは未だに知らない。 言葉を交わして別れを告げた、その先輩の背中を、布津は忘れないだろう。 母を亡くし父を失い、布津は今日、とうとう独りぼっちになった。