「私の人生の一部と言うのなら」 男は左腕さんの焼けただれた顔をそっと撫ぜた。 「私の代わりに生きるべきだ。老兵は死してただ去るのみ」 「オヤオヤァ、随分とキャラクターが違いますよォ」 「減らず口を叩くな、私の癖に」 「決意は固いンですねェ」 既に消えかけている中目黒の足元を見ながら、左腕さんは呟いた。 「あー、お取り込み中スンマセン」 茶々を入れるのは蛍光黄緑頭の青年である。だが、彼とて理由もなく惜別の邪魔をする訳では無い。 「今の俺は、どう見える?」 「随分エキセントリックな青年になったな、最上君代」 「……俺が見えてはいるんだな。ならいいや」 布津はため息を吐いた。夜の大気は冷え込んでいる。しかし、冬はまだ先のことだ。 「隠すものがいるだろう」 男が手をかざすと、左腕さんの顔に再び半仮面が現れた。 「外れませんかァ?」 「外すと痛いぞ」 ウフフと笑って男は消えた。 綾敷キイロはため息を吐く。なぜか泣いていた。 「これじゃあまりに……あまりにあっけない……」 錫杖を振ると、残った暗闇の欠片さえ消えた。広々とした空地に、秋の終わりの風が吹く。 先程まで奇怪な建造物があったその場は空地になっていて、不可思議な体験は夢とも思われた。 しかし、布津は綾敷キイロと左腕さんの顔を見て、夢では無かったと首を振る。 左腕さんは背を向けて立っていた。その背中が僅かに寂しげで、布津は声を掛けるのを躊躇った。 思えば、狂気の最中であっても「忘れろ」と言ったのだ。恐らくは、布津を生かす為に。 (あの時、「お前と一緒に行く」と言ったらどうなったかな) 「……ひろしさんは?」 キイロの呟きに布津はハッと顔を上げた。元々謎の多い存在だったが、布津をこの場に導くメモを記して以来見かけていない。 もしや、中目黒と共に消えてしまったのでは? 「……おい、左腕さん」 「……アハハ」 なぜか、左腕さんは笑った。 「なんだよ」 「ひろしさんは僕だった」 ン?首を傾げた布津の方を、左腕さんが振り返る。相変わらず左腕は欠けている。そして、左腕さんの後ろから現れたのは―― 「ひろしさん!?」 「中目黒之嘘吐は僕で、僕はひろしさんで、ひろしさんは中目黒之嘘吐だったんですよォ! やっと分かった、ひろしさんは僕だと思ったけれど、しかし僕じゃないとも思ったンです!」 「分からん!噛み砕け!」 一人で喜んでいる左腕に歯噛みしながら布津が叫んだ。キイロは目を白黒させてそれを眺めている。 「中目黒の『正気』がひろしさんだったのです。最上君代は戦場で、命ともいえる利き腕を飛ばされた。 最上君代の狂気の原因はその左腕……中目黒之嘘吐きが最上君代の狂気を引き受けたと言うのなら――」 「左腕が戻れば正気に戻る……か?よく分かんねえな」 「どうして利き腕が命なんですか?」 「……銃を、な」 「ええ。取りあえずは、布津君にとってはひろしさんがここに居るという事実が重要なのではありませんかァ?」 布津は頭を掻いた。 「……正直複雑。中目黒之嘘吐とかいうのがひろしさんだっていう実感が……お前の中の唯一の癒しの部分が死んだなって感じ」 「ま、まあ良かったじゃないですか、皆無事で!」 キイロがそそくさと布津のスクーターにまたがった。 「帰りましょう、街に」 「……綾敷サンはどうやって来たんだ」 布津は苦い顔をして問いかけたのだが、キイロは満面の笑みで答えた。 「わたし、やっと異能が発動しまして!というのも弟の力を借りたんですというか 借りる気はなかったのに近くに居たから影響受けちゃって」 「はあ、まあ、オメデト」 「はい!それが、祖父も中目黒博士の事を気にしていたみたいですし、隔世遺伝ですかねえ、なんと空間移動の異能なんですよ」 「不思議なこともあるもんだね。で、降りてくれる?」 え。布津とキイロの間で空気が固まった。 「だってその異能で帰れるでしょ」 「……神前で、陣を描かぬことには」 うげえ。布津は本心からそう言って顔を歪めた。左腕さんはくつくつと愉快気に笑った。 「しょうがないじゃないですかー!慣れてないんですよ!」 「あの世界じゃ中々の神主っぷりだったのになぁ」 「これじゃあまだまだ半人前ですねェ」 男どもに散々言われて、キイロは半泣きで言い返す。黙りこくってしまうほど淑女ではないのだ。 「うでさんも布津さんも男なんだから走って帰ればいいでしょー!」 「男女不隔」 「五圓ですよ綾敷サン」 「あーもう!!」 星空の下、ケラケラと笑いながらスクーターを引いて歩く彼らを、ひろしさんはふわふわと追った。 <終?>