2013/05/19


弐 荒縄が(恐らく彼が考え事をしている間床を這っていたものと同じであろうが)、彼の足にするすると巻き付いたのだ。 随分と人懐こいものである。 しかし、男の認識に「床を這う生きた荒縄」などというものは元々存在しなかったので、 いよいよ男はこの場所に疑問を呈さなければならなくなってしまった。 「君はここがどこだか知っていますか、それに、どうして僕がここにいるのか」 仕方なしに荒縄に話し掛けると、縄は端を一度縦に振って頷いて見せた。 「にしても、君に口が無い事にはなァ……」 縄の蛇はそれを聞いてしょんぼりとうな垂れ、ふっと消えてしまった。 男はキョロキョロと辺りを見回した。 縄が消えると同時に、部屋が小刻みに揺れ始めたのである。 急なことであったけれども、男は無意識に唯一の出入り口である扉を開放した。 ギャッと悲鳴のような音を上げて開いた扉の奥、謎の建造物の廊下には、なんと大きな象が何頭も歩いていた。 独特の色使いと文様を付した布飾りを頭と腰に敷かれ、痩せて気難しそうな男や 陽気に腹を抱えて笑う男たちが象の上に乗っている。 頭上から何か声を掛けられたが、それは異国の言語らしく男には一切理解が出来なかった。 「どうも、失礼」 男は困ったような(というより実際に困っていたのだが)笑みを浮かべてそうっと扉を閉じた。 今度は不満げな呻り声のような声を上げて扉が閉まると、男は初めに目が覚めた時の様に ベッドに腰掛けて再びぼうっと考え事を始めた。 どの位そうしていただろうか、男は部屋の揺れがさらに激しくなってきている事に気付いた。 遠くからはガラガラと物の崩れる音さえ聞こえる。 (これは一寸不味い) 揺れはだんだん大きくなり、不穏な音はどうやら近づいてきているようだ。 一応古びた扉を開いては見たが、象たちが消えた代わりに今度は目の前を燃える車輪のタクシーが猛スピードで通り過ぎて行ったので やはり廊下を使うのは無理だろうという結論に落ち着かざるを得なかった。 諦めて戸を閉じると同時に、音も揺れも寸の間止んだ。 静寂に包まれる室内。時さえ動きを止めたような空間は、次の瞬間一気に崩れ去った。 「え、え、これは……」 自分の足元が崩れ去り、ほんの一瞬の浮遊感ののち瓦礫と共に地面に叩きつけられたのである。 「アッ」 背中から鋭い痛みが走り、そのつかの間の静止が命取りとなった。 逃げる間もなく崩れた瓦礫が降り注ぎ、暗闇の内にに閉ざしてしまったのだ。 本来であれば大惨事は免れない状態であるはずなのだが、自身は瓦礫に埋もれて尚、平気で生きていた。 それどころか、瞬きする間にまるで当初から何も無かったかの如く瓦礫も消え去ってしまったのである。 「ハッハッハ、困った」 仰向けに寝転がった姿勢で笑う男は、そのままの姿勢でぼんやりと空を見上げていた。 どうやらどのような状況でも「ぼんやり」「思考に沈む」事が得意な男らしい。 「どちら様ですか」 突然上から声を掛けられ、男は目を見開いた。 その視界に、奇妙なほど明るい緑の髪色をしたどうにも怠そうな男が映る。 「それが、僕にも分からないんですよォ」 男は立ち上がって背中の砂を掃うと黄緑色の頭髪がやけに主張する男に向かい合った。 「そうですか。困ったな。大体僕は厄介事に巻き込まれたくないんですよ」 「ええ」 「ええ、ではなくて。あなた、記憶が無いんですか」 「そうです、そうです。記憶と腕が無いんです」 ほら、と左腕に目線を移せば、いよいよ黄緑の男は困った顔をした。 「腕が」 「ええ、腕が」 「そうですか、ひょっとすると僕はあなたの腕を拾ったかもしれない」 「何ですって」