2013/05/19


 ジリリリリリリ!  けたたましい呼び出し音が耳を刺す。 (なんだよ、人がせっかく気持ち良く眠ってるところを。冷房なしに風の入る絶好の睡眠日和なんだぞ) 布津は懐中電話を取って不機嫌な声を出した。 「はい、俺」 『布津さんおはよう!』 布津は頭を抱えた。 「綾敷さん、こんな朝早くに何ですか」 綾敷キイロ。可愛らしい声で元気を振りまく乙女の名である。妖怪一家の綾敷家長女、狐火で、その能力は未発現。 妖怪にも能力が現れないことがあるのか、と布津が問えば、 「人間だって前世を覚えてる人もいればそうじゃない人だっているじゃない」と、納得のいくようないかないような、曖昧な説明を受けた。 「こんな朝早くって、もう昼前じゃないですか!今日は非番なんでしょ、勉強教えて下さい」 「天照のお嬢様に教える勉強はありません。切るよ」 「あ、ちょ」 プツ。 相手の話をみなまで聞かず、布津は電話を一方的に切った。再び鳴り出すことを警戒して布団の中に放り込む。 案の定数秒のうちに再びけたたましいベルが鳴るが、布団が音を和らげて大した騒音にはならない。  布津は鳴り響き続けるベルをよそに、せっかくの休日をどう過ごそうか決めあぐねていた。 (やる事ないし雨読庵でも行くか……の前に銀行寄って、帰りにヘブンで昼飯) 頭の中に西京地図を思い浮かべ、最短の道を描く。通信指令課という職業柄、地理には否が応にも詳しくなった。 初めから最短距離を選択できる彼の先輩妖怪と比べれば、それでも無駄は多い。 もはや悔しいという感覚も麻痺している。彼にとっては昔からのことだから、麻痺したことさえ忘れていた。 「……頭痛え」 茫々とした持続的な痛みが脳を締め付ける。しかし酒をしこたま飲んで眠った記憶もなく、あるいは体調を崩すような兆候も覚えがない。 「嫌だな」 呟きは一つしかない部屋の中にぽかんと浮かび、肌触りの悪い不快感を残した。ばりばりと髪を掻くと、蛍光色の髪が一本床に落ちる。 その根本には黒の地毛が現れていた。 (……薬屋も寄ろう) *** (別に、どうでもいい。こいつが何であろうと、とかく大人しくさえあれば)  初めて目の前で見た時に背筋を走った戦慄はなりを潜め、今では「厄介ごと」としての「左腕さん」があるのみである。 喫茶店のアンティークな椅子に腰かけた左腕さんを見ながら、布津は諦めに包まれていた。 ついでに、その横で同じく椅子に腰かける金糸の髪をした女学生にも、もううんざりしていた。 大きな窓から往来の様子がよく見えるが、それも忙しない人の波が満ち引きするだけの至極退屈なものに思えてしまう。 「分かったよ、調べ事だっていうんだろ、付き合うから早く終わらせてくれ」 左腕さんが現れてから妙に綾敷キイロの動きが活発になったと思ったら、なんと彼女は半仮面に片腕の空恐ろしい妖怪に取り入って何やら捜査しているらしいのである。 捜査といっても子供のお遊びのようなもので、せいぜいが図書館に行ったりあちこち走り回ったりその程度であるが、それにしても少女に何かあれば後味が悪い。 うんざりはしているがそれでも憎み切れない女学生を、さすがに左腕さん一人に任せる訳にはいかなかった。彼の辞書に責任という文字はない。 その隣にふわふわと浮かぶ彼の分身ひろしさんはどうだか知らないが、たとえ責任感があってもそれを果たせないのでは意味がない。 肘から下の左腕でしかないひろしさんに、その能力があるとは到底思えなかった。 「で、今度は何。四次元の箱?タイムマシン?夢占?卜占?こちとら官吏、休みは貴重な訳ですよ綾敷サン」 「それは、本当にごめんなさい」 しょんぼりとした少女を前にして、布津の意地悪な気持ちも少し萎えた。やれやれとため息を吐く。  結局、部屋の前で待ち伏せされて捕まったのだから、どうせ逃げ場は無かったのだ。少女一人なら強行突破も辞さないが、 左腕さん――不気味に青白い顔に同じ色の半仮面で右目を覆う、左腕を失くした(多分)妖怪――を相手に布津はいつも竦んでしまう。 できるだけ関わらないでいようと思うのに逃げ出す事も出来ずにただただ専属自動預け払い機と化すしかない。 「僕だって、出来る事ならのんびりと余生を過ごしたいンですがねェ」 飄々として左腕さんが言った。その余生に使われる金は恐らく布津の懐から出るのだろう。 「でも知りたくありません?どうして左腕さんは幽霊ホテルに居たのか。噂ではアレは困ってる人の所に現れるんでしょ?私は気になるな」 「彼女がこう言うものだから」 「あなた達って本当に主体性無いですね。それでも天照男児ですか!」 「ああ、綾敷さん禁則事項その一『男女不隔』破りましたー」 「五圓頂きますよォ」 ケラケラ笑いながら左腕さんは背もたれに身体を預けた。布津はズイと身体を前に出して綾敷キイロに迫る。 「こ、今月厳しいんです!」 「俺だってな、この変人に何の因果か金払わなきゃいけないンだぞ!」 綾敷は渋々、いや、半ば同情の目をして五圓取り出し、突きつけられた手の平に乗せた。 「最低な男どもを前に一気に沈んだ気を取り直していきましょう、つまり私が布津さんにお願いしたいのは、幽霊ホテルについてあるだけの情報を手に入れて欲しいんです」 「あるだけ、ってそもそも俺にそんなツテがあると思うのか綾敷さんは」 「思いませんが」 即答。綾敷キイロは時に非情なのだ。 「よく西園寺とやらの話をするでしょ布津さん、彼に聞いてみたらいいじゃないですか。そういう話が好きな人なんでしょ?うちは妖怪一家なので都市伝説にピンとこないというか……。 まあ私の家では調べにくいんですよ、要するに」 分かりにくい喩えをどうも、と疲れ切った顔を右手で覆って布津は身を引いた。敗北の証。 --- 私は目の前の機械を睨み付けながらゆっくりとそれに歩み寄った。活動を停止している計器、冷たい灰色、血管のような赤と青の配線。 それら全てがこの上も無い憎しみを呼び起す。煮えたぎる感情。 まったく汚らしい工場だ。 実際には研究室なのだが、今の状態では工場という表現の方が現実に見合っている。 あちこちに転がる工具と未完成な完成品。点睛の日は訪れないだろう。 私がもしこの機械を使って「彼」のもとへ行くことが出来るなら、この無骨なタイムカプセルは「救い」であり得ただろう。 物語に救済が無くとも、物語に終わりがあることそれ事自体がある種の救済なのだ。 しかし、現実はそう甘くないという事を私は直感していた。 「彼」のいないこの世界をもたらした「救い」を私はどうする事も出来ない。私が扱うにはあまりに事が大きすぎる。 「救い」を私は許しはしない。そしてこの世界から逃亡した「彼」をも。 私はコンクリートの床に転がった鉄パイプを取り上げ、無表情に振り上げた。    救済という絶望はこの手でぶち壊すのだ。